やる気も義務感も頼らない。小さな習慣が心と体を守る

メンタルヘルス習慣

やる気だけでも続かない、義務感で無理をしても壊れる

「やる気が続かない」
そんな悩みは、当時の私には縁遠いものでした。
当時の私は、「やる気があるかないか」など考える余裕すらなかった。
ただ、「やらなければならない」という思いだけで、身体を動かしていました。

体調を崩しても、「それは自分が弱いからだ」と思っていました。
だから、誰かに相談したり、休むという選択肢は頭に浮かびもしなかった。

立ち止まるという発想もなかった。
走り続けるのが、当たり前だった。

「辛い」と感じることすらなかった。
辛いという概念そのものが、自分の中には存在していなかったように思います。

ただ、どこへ向かうのかもわからない暗闇の中を、
何かに追われながら、必死で走り続けていました。

何に追われているのかも、どこにたどり着くのかもわからないまま、
止まったら全てが壊れてしまう気がして、走り続けるしかなかった。

夜、眠る前にふと思ったことがあります。
「もしこのまま目が覚めなければ、楽になれるのかもしれない」と。

それでも朝が来るたびに、私はまた目を覚まし、
何もなかったかのように、同じ毎日を繰り返していました。

「できなければ存在価値がない」と思い込んでいた

当時の私は、「できなければ、自分には価値がない」と心のどこかで本気で思っていました。

結果を出せなければ、誰の役にも立たない。
役に立てない自分は、存在している意味がない。

そんなふうに、自分自身を、厳しい物差しで測り続けていました。

「自分は弱いのだから、できないのだから、やるのは当然だ」
そう思い込んで、自分を追い立てていました。

体調を崩しても、不安に押しつぶされそうになっても、
「自分が弱いからだ」と思い込み、さらに鞭を打って走り続ける。

誰にも頼れず、助けを求めることもできず、
ただ、がむしゃらに前だけを向いていた。

本当は、「ここまでよく頑張っているね」と、
誰かに言ってほしかったのかもしれません。

努力していることを、弱さを抱えながらも必死に生きていることを、
ただ認めてもらいたかった。

できるかどうかじゃない。
存在しているだけでいい――
そんな当たり前のことすら、自分には許せなかった。

だから私は、もっと、もっと、自分に厳しくなっていったのだと思います。

逃げた自分を許せなかった、それでも少しずつ楽になった

走り続けるしかなかった私にも、ある日、限界が訪れました。

追い詰められていた職場から、自分で逃げるという選択をしました。
それしかできなかった。それ以外の選択肢なんて、見えなかった。

別の職場を選び、理学療法士として働き続ける道を選んだのは、私自身です。

けれど、心の中には、「逃げた」という感覚が、確かに残っていました。

「理学療法士としての自分は、もう終わった」
そう思いました。

かつての私は、どんな病気も、どんな障害も、自分の手で治せる――
そんな漠然とした、完璧な理想を追いかけていました。

それが現実には不可能だと知ることが、あまりに怖かった。

だから、理想に届かない自分を許すことができず、
「終わった」と感じてしまったのだと思います。

新しい職場で働き始めても、すぐに希望を持てたわけではありませんでした。

周囲に苛立ちを覚え、葛藤し、自分自身に失望しながら、
それでも、日々をなんとか積み重ねていく中で――

気がつけば、少しだけ、肩の力が抜けている瞬間がありました。

以前なら、仕事だけで頭がいっぱいだったはずなのに、
ふとした瞬間に、仕事以外のことにも目を向けられる余裕が、
ほんのわずかですが、生まれていたのです。

それもまた、後から考えれば、
自分を守るための習慣が、静かに芽生え始めた証だったのだと思います。

習慣は自分を追い詰めるためではなく、守るためにある

これまでの私は、努力や行動を、「足りない自分を補うためのもの」だと思っていました。

できない自分を責めないために、失敗が怖いから、完璧にならなければいけないと思っていました。

当時の私は、「習慣」という言葉を意識していたわけではありません。

ただ、今振り返ってみると、あの頃の私には、自分を追い詰めるための習慣ばかりが積み重なっていたのだと気づきます。

新しい職場に移っても、すぐに心が軽くなったわけではありませんでした。

周囲に苛立ちを覚え、葛藤し、自分自身に失望しながら、
それでも、日々をなんとか積み重ねていく中で――

気がつけば、少しだけ、肩の力が抜けている瞬間がありました。

それは、苦しみながら続けるための習慣ではなく、
自分を守り、支えるために生まれ始めた小さな習慣だったのだと思います。

習慣とは、苦しみながら続けるものではない。
自分を守り、支えるために、静かに積み重なっていくもの。

そう思えるようになったことが、私にとって、本当に大きな変化でした。

まとめ|小さな習慣で、自分も大切な人も守れる

かつての私は、できない自分を責め、無理をして走り続けることしか知りませんでした。

でも、たとえ遅くても、遠回りでも、少しずつ変わることができた。

小さな習慣が、自分を追い詰めるものから、
自分を守るものへと変わったとき、私の世界は静かに変わり始めました。

完璧じゃなくてもいい。うまくできない日があってもいい。

それでも、小さな一歩を積み重ねることが、心と身体を整え、自分自身を支えてくれる。

そして、自分自身を大切にできるようになれば、
周りの人たちにも、自然と優しくなれるのだと思います。

私は今も、理想と現実の間で迷うことがあります。

でも、「完璧じゃなくていい」と自分に言い聞かせながら、
今日も、小さな習慣を重ねています。

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